2015年11月24日

日本の呼び名の発祥は大阪だった?!

 先日読んだ「隠された物部王国『日本』ヒノモト」大阪に住む人間としては、ちょっと嬉しいことが書いてありました。
 東大阪市にある日下(くさか)という地名。それは、太古の昔ニギハヤヒの尊が、天岩船に乗ってこの辺りにやってきた際
虚空見つ 日本(やまと)の国
と名付けたことに由来するとか。ニギハヤヒの言葉は「旧事本記」に書かれているそうです。草香山(別名ニギハヤヒ山)が現在もあって、日の下の草香と呼んだ土地が、後世「日下」になったという流れがあるとか。
 そして、橋下さんがハシモトさんと呼ぶように、日下は日本(ひのもと)という言葉と同義となります。暗に、日本の発祥はここですよと地名に遺しているのかもしれません。
 先に治めていたニギハヤヒの親族たち(ナガスネヒコの一族)が神武に負けて、東北などに移動した後は、日の下は大和(やまと)の枕詞となって、最初の大王家の存在も業績も、消されていったので、正式な歴史からは伺えない悲しみがあります。
 他にも、物部と白鳥伝説の関係、鳥養部(鳥飼部・とりかいべ)がトリベ→トベ→トビ→トミと転訛していったこと、現在は登美ヶ丘という地名になっている由来が書かれてあったり、淡路島や大阪に関係している人間には、古代のロマンを感じる一書でした。大阪人が、ニニギよりもニギハヤヒに親近感を覚えるのは、生駒に君臨した大王の魂が今もなお、この地で輝いているからでしょうか?
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posted by サンサンてるよ at 10:39| 雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

飛騨の意味とは?

 この日記はサンサンてるよの忘備録のようなものなので、目からウロコの情報をその都度ほうりこんでいます。飛騨高山は20代の頃に訪れた地ですが、ここ数年古代史を学ぶと、日本を霊的に守る意味でも最重要の地だと解ってきました。
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-01-1hidakoku.htmlから転載させていただきますと・・
飛騨高天原伝承
 山本健造氏著「日本古代正史とその思想 国づくり編」より抜粋

 乗鞍岳の麓に大昔から日本人類の祖先に当たる最初の人たちが住んでいて、その民族の総本家として敬われていた家には姓がなく、上方様と呼ばれていた。その分家が飛騨から日本全国に広がり日本人に元となった。
 高天原は飛騨であり、その中心は丹生川村・宮村・久々野町・高山市であり、その一帯に古代の中央政府があった。上方様の一族が乗鞍岳の麓に住んでいた時代にいくつかに分家した。その中に国常立尊や伊邪那岐命もいたという。この一族が記紀のスメラミコトで後の天皇家につながる。この地の人々は乗鞍岳を「アワ山」と呼んでいた。
 飛騨の丹生川の地で、森の中に水をためる池を作り、その池の周りに集まって座り、池の水に太陽を映してそれを見つめる御魂鎮めをしていた。この神事は「日抱の御魂鎮め」といって、今から130年前ぐらいまで行われていた。日を抱くように人々が輪になって座ったので日抱と言った。日抱の宮は乗鞍を中心として18社あるが、後に伊太祁曾神社と名を変えられている。この日抱が後に飛騨となった。この神社の場所は乗鞍岳がよく見える場所にあり、この神事を行った池は現在も残っている。
 気候の変動と共に乗鞍の地から位山の地に移った。位山の頂上の磐座の周辺は国常立尊や天照大神など代々のスメラミコトを祀った神聖な場所である。天照大神の時代に九州地方が騒々しくなった。天照大神は三人の娘を九州に様子見に行かせた。また饒速日尊を大和や河内国を治めるために大勢のものを連れていかせた。九州ではコホロギという人たちが住んでいて、朝鮮や大陸から来た人たちに責められるかもしれないので助けてほしいという要請があった。天照大神は諸神と諮って、飛騨にいては対処できないので、若い強い者を九州に送ってそこを平定しようということになった。瓊瓊杵命以下、飛騨高天原の人々の大移動が行われて、九州の高千穂の地に行かれました。これが天孫降臨である。
 出雲の国譲りの時、天若彦が殺された。妻の下照姫その兄の阿遅志貴命が、その遺骨を持って飛騨に入ろうとしたが、若彦の反逆の真相がわかり、飛騨での本葬をあきらめて飛騨路の入口の美濃で葬式を行った。美濃にその喪山や若彦と下照姫を祀った大矢田神社がある。その後下照姫と阿遅志貴命は美濃を開拓した。
 この伝承で、飛騨高天原のあらすじがよくわかるが、他地域の伝承と不整合な部分も多々存在している。

位山

 位山は水無神社の御神体とされており、さまざまな伝承が残っている。
@ この山のイチイの木の原生林で採れた笏木を朝廷に献上し、天皇の即位の式典に使用されていた。
A 地域伝承として「位山の主は、神武天皇へ位を授くべき神なり。身体一つにして顔二面、手足四つの両面四手の姿なりという。天の叢雲をかき分け、天空浮船に乗りてこの山のいなだきに降臨し給ゐき」と言い伝えられている。
B高天原は日本にいくつもあり、中でも一番古いのが飛彈高天原で、位山はその中心となり天照大神の幽の宮(かくれのみや)がある。
C神武天皇がこの山に登山すると、身一つにして面二つ、手四本の姿をした怪神( 両面宿儺・リョウメンスクナ )が雲を分けて天から降臨し、天皇の位を授けたので、 この山を“位山”と呼ぶようになったという。(初代神武天皇に位を授けたとされる両面宿儺は、第16代仁徳天皇の時代には朝廷に従わず民を苦しめた悪人として、仁徳天皇が遣わした将軍・難波根子建振熊(なにわねこたけふるくま)によって討伐された。両面宿儺に対して史書は鬼賊といっているが、 地元の伝説はすべて王者か聖者として崇敬している点が大きい違いである。)
D 位山は分水嶺であり、北は宮川から神通川となり、富山湾に流れ、南は飛騨川から木曽川と続き、伊勢湾に流れる。
E すぐそばを古代の官道(東山古道)がとおっている。現在でも石畳の一部が残っている。
F 位山山麓には数多くの巨石群がある。そのうちいくつかは、明らかに人工の手が加えられており、神々を祀る磐座とされている。山頂近くには「天の岩戸」と呼ばれている磐座がある。また、周辺一帯にペトログラフが数多く見つかっている。
G 越中の竹内家に伝わる超古代資料である竹内古文献に位山に太古天皇(天照大神)の大宮があったと記録されている。
H 大直根子命が景行天皇の時代に奏上したと言われている秀真伝(ホツマツタエ)に「天照大神が誕生した時、位山の笏木で胞衣を切り開いた」とされている。
I 位山は国常立尊の神都であり、天照大神の誕生所・御陵であると言われている。



posted by サンサンてるよ at 07:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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